【アグリッパ 軍事的活躍】
早くから軍事についたアグリッパは、14歳の時に共和制ローマ軍人であり政治家のカエサルのもとで、対立する一派と戦いました。
後にカエサルに紹介され、同い年のアウグストゥスと出会います。カエサルにはある思惑がありました。頭脳明晰だけど病弱なオクタウィアヌス(カエサルの養子、後のアウグストゥス)と、根っからの軍人で屈強なアグリッパは、互いに補い合う良いコンビになるのでは、と。
カエサルの思惑どおり、2人は親しい友人となりました。同い年である2人は同等な教育を受け、カエサルがローマ共和国で独裁権を勝ち取っていく中、アグリッパとオクタウィアヌスは共にギリシアのアポッロニアに学びの旅に行きました。
2人が旅立ってから4ヶ月後、カエサルは暗殺されてしまいました。カエサルの遺言でわずか18歳のオクタウィアヌスが後継者に、同じく18歳のアグリッパはその後見人に指名されていました。
後継者となって称号がアウグスティヌスになりました。紀元前31年「アクティウムの海戦」が行われました。アグリッパの素晴らしい軍事的戦略により、対立する女王クレオパトラの連合軍を打ち破りました。
一世紀にもわたるローマの内乱がようやく終わった歴史的な戦いです。そして平和な時代(ローマの平和、パクス・ロマーナ)となった当時のローマ。アウグストゥスと親密な関係であったこともあり、アグリッパは様々な助言をし、政治家としても影響力がありました。
中島健祐 桃井心